マジソンブログ

「行動が自分を変える」

まとめ:孤独がきみを強くする by 岡本太郎 

ほんとうに自分をわかっているのか?

だれでも、「誤解されたくない」と言うだろう。「私はそんな人間じゃありません」なんて憤然としたり、「あいつはおれを誤解している」と恨めがましくめそめそしたり。だけど、じゃあ自分の知っている自分って、いったい何なんだい?どれだけ自分をわかっている?せいぜい、自分をこう見てもらいたいという、願望のイメージなんだよ。そんなものは叩きつぶしてしまわなければ、社会とは闘えない。自分がどう見られているかじゃなくて、自分はこれをやりたい。やる。やりたいこと、やったことだけが自分なんだ。

 

いつ死んでもくいはない、他人におべっかなんて使わない。

ぼくはいつ命がなくなってもかまわない。たったいま死んでも悔いのない 、瞬間瞬間を生きてきたつもりだ。火山が猛烈にふき出して、あとは静かになってしまうような、命の燃焼が大切なんだ。他人におべっかいなんか使わない。自分のプライドに納得のいく生き方を選ぼうと思う。

 

永遠の時間の流れに、シミをつけるな。

誕生日なんか、クソクラエだ。人間のいのちは、毎日新しく生まれ変わって、生きがいを爆発させる。誕生日というなら、その日その日がそうなのだ。そういう充実した人生でなければならない。暦の上でくりかえされる、偶然な符号に義理を立てて、永遠の時間の流れに、こまっちゃくれたシミをつける必要はないではないか。

 

記念日はもたない。

ぼくは記念日をもたない主義だ。人生におけるどんな事件でも、過ぎ去ったものにはこだわらない。過去のことに気をとられるよりも、今日、いま、ここでおこす事件の方がはるかにスリルがあるし、現実的に意味があるからだ。

 

勝とうが負けようがどっちでもいい。強いとか弱いなんて考えたこともない。平気なんだ。勝って結構、負けて結構。ただ、完全燃焼、全力をつくす。そういう主義をつらぬいている。

 

逃げたくなったら、挑め。

むなしい、どうにもならない中にいて、弱気になって逃げようとしたら、絶対に状況に負けてしまう。逆に、挑むのだ。無目的に、まったく意味のない挑み。それこそがぼくの生きるスジだった。

 

自己嫌悪をのり越えろ

自己嫌悪を乗り越えて、自分を救う方法が2つある。自分を無の存在と考えるか、徹底的に自分自身を対決の相手として、猛烈に闘ってやろうと決めるか、どっちかだ。どっちでもいい。中途半端はダメだ。